2008年01月22日

草の露小さく生きて光たし


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 ★ 瘋癲老仁妄詩 13108

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草の露小さく生きて光たし

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 平泉の光堂へ、芭蕉生誕300周年に、ツアーで行ったことがありました。
 ツアーは忙しくて、あんまり好きではないのですけれど、芭蕉の跡をたどるというので、行ったんですけれど、やっぱり、あんまり記憶に残らない旅でした。
 老仁は、元来、記憶力に弱くて、どんなに感動した映画も、よく覚えていません。どんなに大好きになった場所も、日時や詳細な記憶はほとんどなく、断片的な記憶が、あれもこれも、ゴチャゴチャに、漂っているだけなんです。そして、想い出そうとしても想い出さないけれど、ふとしたときに、何の脈絡もなく、ふっと、浮かんでくることがあります。
 集中力がないし、過去を過去として、日記風に、あんまり振り返らないし、人に語ることもないからでしょうね。
 明日をしか見ず、明日をしか語らず、大事なことは、意味を見つけ出すことだっていう習性のせいなのでしょう。
 今では、意味よりも、事実そのものを、一つひとつ、大事に生きようと思うんですけれど、古い習性は、消えるものではありませんね。

 たくさんの人たちと出会ってきましたけれど、やっぱり、忘却の淵に、浮き沈みしていきます。歴史上の人々も、現実の人々も、同じように、浮き沈みしていく時空の存在になってしまいます。

 一人ひとりの出会いと出来事を大事にしていくには、もう、時間もなくなりました。

 要するに、振り返れば、ただ、風が吹いているだけ・・・

 そんな生き方しかできなかったのですから、それはそれで、よかったのかもしれません。
 風が吹いているだけで、
 何にもなくても、Happyだと、感じているのですものね・・・


 光堂も、儚い夢の痕・・・
 人々のドラマを観ることなのでしょう。
 
 光堂には、人々のドラマが、
 森には、自然のドラマが、

 そして、光は、人々も、森も、
 あらゆるものを、等しく、照らしつづけてきたんですね。

 露に光る光の美しさは、
 やっぱり、かけがえのないうつくしさなんだと、感じます。

 暗がりの、微かな明かりも、やっぱり、うつくしいなと感じます。


 特別美しいものも、在るに違いありませんけれど、
 老仁は、もう、特別美しいものを求めようとも思わなくなりました。

 それなりに、それなりに、
 一つひとつが、うつくしい。

 みにくいものなんて、
 実は、ないんだって、そう、思うように、なってきました。


 美しいと思うものも、
 醜いと思うものも、
 みんなつながりあって、
 みんな支え合って、
 この世界の営みが成り立っているんですものね・・・


 けれど、やっぱり、あなたのあいがほしい・・・
 煩悩も、また、よし。




★★★ 『 今はまだ届かぬ思い汝も吾も浅きに拠りぬ深く降り行け 』 ★ 瘋癲老仁妄詩 13403 へどうぞ!!! ♪♪♪





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 ★ 瘋癲老仁妄詩 13102

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光があるから光堂は要らないよ

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★★★ 『 瞬きの間に永遠の扉在り 』 ★ 瘋癲老仁妄詩 13402
♪♪♪

★★★ 『 生む力創る力の根源へ降りていこうよ受難を越えて 』★ 瘋癲老仁妄詩 11702
♪♪♪  

★★★ 『 あい風のこころの空をふきわたる 』 ★ 瘋癲老仁妄詩 10103
♪♪♪ 

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posted by 老仁 at 19:50| 福岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 瘋癲老仁妄詩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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